年末恒例「麻倉怜士のデジタルトップ10」も、いよいよベスト3を残すのみ。今年のトップ3には“オーディオ史に名を残す新しい仕事”と“音楽史を後世伝える仕事”、そして“ビジュアルの新時代を切り拓く仕事”が並んだ。麻倉氏が「こんなにも音楽性が豊かなものは初めて」というオーディオボードの紹介とともに2015年を振り返ってみよう。
麻倉怜士氏の「サウンド・オブ・ミュージック」聖地巡礼第3弾は、「ドレミの歌」後半のホーエンザルツブルク城を望むメンフィスベルクの丘の階段からパシャリ。数年前に近代美術館が開館したことにともなって階段は改修されたため、映画と同じ構図を再現することはできなくなってしまった――2015年の総括もいよいよ大詰めです。残すはトップ3のみですが、果たしでどんなアイテムが出てくるでしょうか?
麻倉氏:その前に番外編をもう1つ挟みましょう。日本人の“音の匠”がアメリカで作った、超弩級のオーディオボードをご披露します。
麻倉氏:番外編の第2弾は、米ロサンゼルスのCrazy Carpenter Craftというメーカーによるオーディオボード「CCHS-XR」です。
――オーディオボード、ですか? 麻倉さんは過去にクリプトンのネオフェード素材を用いたHRボードなどを紹介されてきましたが、ここに出てくるということは相当なレベルという訳ですよね
麻倉氏:もちろんオーディオボードは今までさまざまなものを試してきましたが、これほど音楽性豊かな音を発する(正確には、機器にその音を発せさせる)ボードに出会ったのは初めてですね。私のオーディオレイアウトはかなり大量の機材を使用しており、「オーディオのセオリー」に則って1つ1つを独立してラックに置くということは残念ながら不可能なんです。そのため機器の積み重ねを余儀なくされるため、私にとってボードは必需品です。取材で新製品を自宅テストする時など、1つの機器の下には必ず何かボード類を敷いているという状況です。
――初めて「麻倉シアター」に入った時には目を疑いました。なにせ銘機から最新機材までが所狭しと並び、その上壁一面に大量のソフトですから。通常のセオリーが物理的に通用しないというのも納得です
麻倉氏:CCHS-XRの素晴らしさとは文学的な書き方をすると「封印されていた、もしくは閉じ込められていた信号に込められた音楽性が、アンプやCDプレイヤーの下にこのボードを置いたとたんに解き放なたれ、リスニングルーム空間に勢いよく真放射される」といった感じですね。音が細部まで活き活きとした動きを獲得し、倍音放射が目に見えて増え、音場空間の密度が大幅に向上します。音像のレイアウトも奥行き方向に明確な立体感を描き、スピーカーの姿がフッと消え去って音楽がまさにその空間から生まれてくるという体験が得られるのです。
――ピュアオーディオにおいてスピーカーの存在感を消すというのは最重要課題のようなものですよね。私も昔、とあるプレイヤーを試聴しに某オーディオ店へ出向いた際に、スピーカーの存在がジャマで音に集中できなかったという体験をしたことがあります。総額で100万円は下らないというシステムだったのですが、試聴後に何だかものすごく残念な気分になってしまいました……
麻倉氏:音楽再生中のオーディオ機器は影武者に徹するべきですよね。“音楽”を聴いているはずなのに、主役が“機材”になってしまっては本末転倒です。その点このボードはオーディオの本質をよく理解した素晴らしいアクセサリーですね。クオリティーアップも“もの凄い”と形容できるほどで、このレベルはこれまで使っていたボードでは全く体感したことがありません。
アンプやCDプレイヤーそのものを変えると、確かにこれほどの違いを得ることは可能でしょう。でも今回使用したのは、こう言っては失礼ですが、“単なるボード”ですよ。「まさに超高性能アクセサリーではないか」「なんでこれほどの音楽性が出るの?」といった思いがグルグルと巡りましたね。
片面13層ずつの木材積層板で金属板をサンドしたオーディオボード「CCHS-XR」。持ってみるとズシリと重い麻倉氏: このボードは元ビクターのレコーディング・プロデューサーで、現在はロサンゼルスに在住する田口晃氏を中心に制作された“作品”です。製品ではなく、あえて作品というには訳があり、このボードは大量生産品ではなく、手作りで作られる工芸品のような趣きを持っているのです。
田口氏はビクター時代に高音質CDである「XRCD」を開発した後にロサンゼルスに渡り、さまざまなオーディオ活動を展開しました。1つがスタジオや一般家庭のオーディオルームを調整するルームチューニングです。
――XRCDというと高音質CDの先駆け的存在ですね。後に出てきた「SHM-CD」や「Blu-spec CD」などの素材変更による高音質化ではなく、生産過程そのものを見直すことで高音質化を目指した技術ですが、「電気的外来ノイズの要因が少ない深夜帯に制作作業をする」「マスターの音質が一定未満の場合はカッティングからやり直す」といった、音質に対して非常に厳しい基準を設けたものです
麻倉氏:私は田口氏が日本で行ったユーザー宅におけるチューニング課程を取材したことがあるのですが、最初の音は鈍く、硬く、ぼんやりしていたのですが、チューニング後には明瞭(めいりょう)感、解像感が圧倒的に上がり、スピーカーの存在も消え「ディスクにはここまでの情報が入っていたのか!」と驚くような変化を見せたことを覚えています。今回のボードは、その時の効用とそっくりなんですよ。
一方でマスタリングハウス「Bernie Grundman Mastering」のヘッド・テクニカル・エンジニアであるトーマス・ベノー・メイ氏と共同で、田口氏は手作りアクセサリーメーカー「G Ride Audio」を立ち上げ、私も利用している電源ボックスやケーブルを開発しています。そしてこの度設立したのが、木製アクセサリー専門のCrazy Carpenter Craftです。田口氏が設計し、専門職人(Crazy Carpenterと名乗る)が制作したものを、田口氏が検聴して出荷するという工程をとっています。
――XRCDの時に見られた音へのこだわりは、形を変えてなお息づいているということですね。場所を変え、手法を変えてなお、飽くなき音への追求心を抱き続ける姿勢には、ただただ尊敬です
麻倉氏:田口氏はこう語っています。「信号に込められた実在感、空間表現、テクスチャー、エネルギー、パッションなどを如何に損なうことなく、良い音楽を鳴らすためには、いい電源を供給することと振動対策が8:2の割合だと思っていましたが、数年前からそれは半々だと認識するようになりました。とくに中域の倍音をいかに自然に再生するかが基本です」。XRCDの時には電源対策として、多くの工場が停止して電源が安定する深夜2時を狙って作業をしていた、ということですね。ですが後に、良い音には電源のみならず振動対策もより重要であるという考えに田口氏は変わっていきました。という訳でXRCD開発時に関わりが深かった米国へ渡り、ロサンゼルス在住の木工職人とタッグを組み、材質、構造り形状にこだわり、幾度の試作、試聴を繰り返して音を追い込んだボード、インシュレーターを開発したのです。製品としては普及版のCCHS、音楽性再生にさらにこだわった高級版のCCHS-XRの2つがあります。CCHSとは「Crazy Club House Sandwich」の省略形です。薄い合板を25枚以上重ねた構造で、その真ん中にメタル板を挟む3層でできてます。
麻倉氏の使い方は、コンポーネントの上にインシュレーターをのせ、その上にCCHS-XRを置いてもう1段コンポーネントを積むというやり方。オーディオでは一般的に機材は総て平置き、もしくはラックに1台ずつ収納する方がノイズ対策になるとされるが、機材とソフトが山のように置いてある麻倉シアターでは、物理的にラック収納は不可能だ――さっき持たせてもらったら「積層板の割に随分と重いな」と感じたのですが、なるほど、中にメタル板があるのですね。しかし、ネーミングセンスもなかなかに秀逸ですね。きゅうりやトマト、ハムやターキーなどを薄くスライスした、アメリカ生まれのサンドイッチである「クラブハウスサンド」とは、上手く名付けたものだと思います
麻倉氏:なぜ一枚板や石でなく、合板の貼り合わせがよいのかという理由を田口氏に質問したところ、「振動を均一に拾うためです。大理石や御影石などの天然石は密と粗の箇所が違うのでひずみが出るのです」という返答が返ってきました。
「ポイントは真ん中に挟んだ金属板です。せっかく合板にして制振しても、それが置いてある下(床やラック)の材質の影響を受け、振動を逆に機器側に戻してしまっては意味がありません。これを防ぐために金属板を挟んでいます。つまり機器の振動は金属板で遮蔽されて下までは伝わりません。よく振動するスピーカーの下にCCHS-XRを敷いてメタルを境に上部と下部に指を当ててみると上下の振動モードが違うのが分かりますよ」(田口氏)
田口流のものづくりは、必ず「総てを聴いて決める」という特徴があります。いくつもの候補から聴き比べして、合板、メタルの種類や厚みを選びぬき、接着にも気を遣って仕上げています。Crazy Carpenter Craftにはケーブルインシュレーターもあるのですが、材質によって振動係数が異なるため、木材はそれぞれ別の種類を選んでいます。接着剤も振動を吸収する働きがあるので、吟味して選んだそうです。
外観的には、上下各13層ある合板の堆積具合が、まるで地層のように露わになっている様子が見て取れます。オーディオボードのデザイン仕様としてはかなりユニークで、一般的な商品としてはあまり見られない仕上げですが、田口さんによると「うちは圧倒的に絶対に音質最優先です。見栄えが良くても、それによって音が悪くなってしまっては材質や構造にこだわる意味がありません」とキッパリ。まさに“職人気質”ですね。
麻倉シアター近影。画像には写っていないが、コンポーネント列の裏には大型真空管パワーアンプが鎮座している。取材のため頻繁に機材交換をするので、棚に入れるのは非現実的とのこと――積層板を用いたオーディオ製品というと、木材ではMDF板の使用例が近年は増えてきていますね。あちらも天然木の特徴である年輪などの粗密を嫌い、材質密度の平均化を狙ったものがほとんどですが、田口さんが素晴らしいのは「最後に善し悪しを決めるのは自分の耳」というところだと思います。最適化の判定は測定器でも可能ですが、それだとユーザーに届くのは“測定器の音”です。田口さんの検聴には“最後に製品が相手にするのはあくまで人間”という思想がよく表れていると感じました
麻倉氏:人間の仕事を音に乗せて深く味わう、これぞオーディオの本質ですね。この姿勢はCrazy Carpenter Craftの販売形態にも表れています。というのも、製品は基本的にユーザー機器、環境に合わせたカスタムメイドのため、受注してからCrazy Carpenterが1人で製作し、田口氏が品質チェックしてから出荷しているのです。そのため見込み製作もできず、量産も不可能なため、店舗販売は出来ません。普段は田口氏と個人的な付き合いのあるグラフィックデザイナーの吉野純氏が輸入代行しているのですが、残念ながら現在田口さんが入院中とのことで、生産が止まっている状態です。
――田口さんは「音楽とは何か、オーディオとはどういうものであるか」を、オーディオボードというカタチで体現する“音の匠”だと思います。一日も早い回復を願うばかりですね
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