麻倉:前回に引き続き、2019年のIFA総括をしましょう。今回はオーディオでもたいへん大きな変革があり、新しい流れを発見できましたというお話です。
製品的にまず私が注目したのは、Technicsハイエンドイヤフォン「EAH-TZ700」です。これまでTechnicsのブースでは、基本的には空間音での音響再現を追求していました。つまりスピーカーから音を出すことに焦点を当てていた訳です。今回は流行に乗ってか、高価格帯のハイエンドイヤフォンを作ってみた、と相成りました。日本での発売日は11月15日で、価格は12万円だそうです。
新生Technicsブランドで初となるイヤフォン「EAH-TZ700」。日本では11月15日発売で、価格は12万円――ここ数年ヘッドフォン祭などのイベントがある度に、僕はパナソニックブースに寄って「Technicsのイヤフォンはまだか」と言い続けてきたんです。以前にも増して今のテクニクスはこだわりの製品を出していますから、今回は「ようやく納得いくものが出てきたんだな」という思いです。
麻倉:その期待は裏切られないでしょう。実際に音を聴いてみたところ、これがなかなか素晴らしい。解像度が非常に高いですが、それだけではなく音楽全体のまとまりがあります。
このイヤフォンの特筆点は何と言っても低音の品質でしょう。これはイヤフォンの低音としては傑出ですね。
まず低音再現性がとても良いんです。ヘッドフォンの低音と言っても様々ですが、本製品はヘッドフォンではなかなか出にくい低音のスケール感を特に感じました。この低音、出方・立ち上がり・立ち下がりが速く、とても充実していてかつキレが良い、それでいて芳醇・豊かな音がします。一般的に芳醇な音はキレが悪く、キレが良いとスケールが貧弱になりがちですが、なかなか並び立たない両者が本製品では同時に成立しています。時間軸をきっちりと低音で支えていて、音の進行はくっきり。実に音楽的な低音感を感じました。
話を聞くと、マテリアルに磁性流体を使用しているのがポイントだそうです。これは磁力を帯びたオイル状の液体で、ボイスコイルとマグネット間に充填していると言っていました。
その御利益はダンパーの役割を果たすこと。一般的な(ダイナミック型)イヤフォンはドライバーのパーツが小さいため、ダンパーがありません。従来は物理的な影響を無視してきたわけで、リニアリティのとり方は偶然性に左右されていました。今回はそこに粘性を持った液体を入れたことで、グラグラしているドライバーがリジットに動き、リニアリティとリジットさを出すことに成功しています。その結果入出力の直線運動が実現して歪が少なくなりました、つまり入力信号に対して振動板が正確に反応し、動かせるようになったのです。
この技術は大きなスピーカーユニット用ではなく、あくまで小さなイヤフォン用ドライバー向け。テクニクスでは数年前から、磁性流体を使った低歪で広帯域なドライバーの研究開発を進めていました。本製品に搭載されるドライバーはもちろんTechnics(パナソニック)のオリジナル謹製。テクニクスCTO(技術責任者)の井谷さんによると、エッジは従来よりも柔らかいしなやかな素材を使用しており、低域の低周波数の動きもリニアにできたとしています。
――10万円オーバーという価格はなかなか手を出し辛いところですが、ゆくゆくはパナソニックのイヤフォンでも広く応用されそうですね。
磁性流体という磁気を帯びたオイルを充填することで、繊細なイヤフォンのドライビングで適度なダンピング性能を持たせることに成功したリニアリティが高く、それでいて芳醇な低音の響きがあるという。井谷哲也氏(画像右)曰く、EAH-TZ700は「イヤフォンで初めて聴いた、お腹に響く低音」麻倉:パナソニックの話題をもうひとつ。同社がこれまでベルリン・フィルのトーンマイスターを務めるクリストフ・フランケさんに音楽指導を受けてきたのは、以前からお伝えしている通りです。世界最高峰の誉れ高いベルリン・フィルによる音楽の考え方、オーケストラの音の作り方といったベルリン・フィル流音楽の基礎を、収録・製品化を司るフランケさんから学んできました。その成果を反映させたものとして、これまではテレビのオーディオ機能に「ベルリン・フィルモード」を搭載していたのですが、テレビに入っていたこのベルリン・フィルモードを、本格オーディオへ導入し始めました。まずはテクニクスではなくパナソニックブランドのサウンドバーに導入、従来製品にファームウェア・アップデートで対応します。
これはまさに、パナソニックとベルリン・フィルとの協業における、ひとつの産物です。楽団の本拠地であるベルリンの「Philharmonie(フィルハーモニー)」大ホールで音響測定し、そのデータを畳み込んでソフトへ入れ、サラウンドの中でフィルハーモニーのホール音響を聴く、というもの。
フィルハーモニーではパナソニックの4Kシステムが導入完了しており、撮影・録音のレベルでは4K+ハイレゾの収録となっています。同楽団はサー・サイモン・ラトル時代に「ベルリン・フィル・メディア」を設立し、これらの機材を活用した独自メディアを積極的に展開してきました。
その最たるものがオンラインコンサート配信サービス「デジタル・コンサートホール(DCH)」。4K+ハイレゾの伝送実験が進んでいるものの、現状における音のスペックとしては48kHz / 24bitで、残念ながら最高でも320kbpsのAAC圧縮をかけて伝送しています。ベルリン・フィルモードはこのDCHの音をより良くしようという目論見で企画されました。
使い方としては、パナソニックのテレビにインストールされているDCHアプリで映像と音声を受信し、音声部分をサウンドバーへ流すという、ごく一般的なもの。ベルリン・フィルモードの音としては、フィルハーモニーのブロックB最前列をシミュレートしています。位置としては五角形ホールの一階席中段辺りです。チケット価格的にはもうひとつ高価なブロックAがありますが、このエリアはステージに最も近く、ヴィンヤード型ホールの特徴として音が開放的に上へ飛んでいってしまいます。この飛んでいった音が向かう先がブロックBの正面辺りなのです。
――幸いなことに僕もこのホールはAからEまで色んな場所の音を聴いていますが、ブロックA最前列で聴いた時は奏者との距離が近いため、「松脂が飛んでくるようなチェロの熱演」を体験しました。でも音楽全体の調和を聴くならばブロックB。ステージまでの距離が程よくあり、背面には丁度いい壁もあるので、最も美しいと感じます。
“3大オーケストラ”に数えられるベルリン・フィルとの協業では、サウンドバーの底力を引き出す「ベルリン・フィルモード」を開発。コンサート配信サービス「デジタル・コンサートホール(DCH)」のサウンドをベルリンの本拠地「Philharmonie(フィルハーモニー)」大ホール(Grosser saal)に近づける音質モードカラヤンが設計に参加した世界初のヴィンヤード式コンサートホール、フィルハーモニー。大ホールの客席はAからKまでのブロック分けがなされており、眺めも音響特性も様々。ホールを象る黄金の五角形は、楽団のシンボルマークにも採用されている麻倉:今回聴いてみた感想として、サウンドバーの元の音質はそれほどではありません。が、モードオンにすると、それまでちょっと歪みっぽかったところが滑らかになり、広がりが出ました。それが派手な広がりではなく、大人しくも質感が向上するんです。サウンドパノラマがビヨーンと拡がる感じでは決してありません。
話を聞くと、エンジニア側としては“モード1, 2, 3”みたいに選択肢を多数用意して、もっと広がり感のある濃い音を提案したそうな。ところがそれをフランケさんに聴かせたところ、「それは行き過ぎだよ」となったようです。
――一聴してわかり易い刺激を求めるならば、きっと装飾的な“味の濃いサラウンド”を出したでしょう。フランケさんがここを抑えたというところに、音と音楽の精神に迫るベルリン・フィルの音楽哲学を強く感じます。
麻倉:これまで会って話を聞いたフランケさんの音の考え方は「音楽に対して忠実で、色付けをしてはいけない」、「元の音そのものの素質を出す」という向きが濃かったように思います。ベルリン・フィルモードは決してDolby Atmosのようにリマーカブルな凄まじい効果ではありません。ですが、広がりが得られて質感が良くなるところは感心しました。ただし、スピーカーの基本性能は注文をつけたくなるところ。こういう真に迫る姿勢こそ基礎基本の部分が物を言うわけで、サウンドバーでも可能な限り高性能なものの方がうんと実力を発揮するでしょう。
「だったらプレーヤーなどのHi-Fiコンポーネントに入れれば」と思いそうですが、事はそう簡単ではありません。こういった機能は音の信号を物理運動へ変換する部分に入れないと、サウンドの保証ができないのです。ヤマハがDSP初期に「ムジークフェラインザール」、「ヘラクレスザール」といった有名会場のモードを搭載していた事がありました。ですがこれらはお風呂での反響を聴いているような、ホールトーンとしてはクエスチョンが付くものだったのを覚えています。ここにはひとつ論理矛盾があります。つまり、音源自体に収録場所のホールトーンが既に入っているわけで、それを再度強調するのか、という事です。
今回のものはそこまで追求する訳ではありません。DCH以外の音源でも何でも対応しますが、あくまでDCH前提の音作り。2chとして音が入っている、それを広がり感のある自然な音で聴ける、というところが良いのです。両者の協業における新しい試みとして、注目していきましょう。
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