デジタルライフにおける様々な新常識を打ち立ててきたAppleによってもたらされた完全ワイヤレスイヤフォン(TWS)という製品ジャンルは、あっという間にオーディオ業界における中心的存在のひとつへと躍り出た。
Bluetoothで伝送するTWSは、音質を語る文脈で表に立つことがあまりなかった存在だが、ここへ来て利便性だけでなく音も良くなってきたと麻倉氏。TWS、いよいよオーディオ趣味的にも面白いことになってきた。
――5月をもって全国的な非常事態宣言も解除され、社会は日常を取り戻すフェーズへと移行し始めています。外歩きのお供に音楽をという事で、今回の閻魔帳では近年大流行している完全ワイヤレスイヤフォン(TWS)ジャンルを特集します。
麻倉:見返してみるとこのコーナーで完全ワイヤレス(TWS)そのものを取り上げたことはなかったですね。TWSは今市場で大きな存在感を示していますが、ポータブルオーディオは有線ヘッドフォンから有線イヤフォンへ小型化してきたという流れがあり、ここに来てワイヤレス、しかも“完全”ワイヤレスという進化を見せています。しかも街歩きを重視したと思しきノイズキャンセリング機能付きも多い。トレンドを重視する閻魔帳として、これを取り上げないわけにはいかないでしょう。という事で、今回は現在売れ筋のTWS製品を3メーカー5種類ほど取り寄せて、その音を聴きました。
まず確認しておかなければいけないのは「TWSは音的な条件が厳しい」ということ。小型で軽快な装着感が売りのジャンルなので、ダイヤフラム(振動板)の口径はおごるわけにいかず、大きくとも10mm径はなかなか使えません。この点が音の再現性に対して、根本的にどうなのか。
これに関連して、ハウジングもかなり詰め込まないとならず、チャンバー(空気室)の捉え方が従来とはかなり違います。バッテリー持続時間の問題から、音を成り立たせる重要なファクターである電源も、そう強化する訳にはいきません。そして最大の問題は、Bluetoothの圧縮フォーマットが標準となっていること。いくらaptXとは言え、基本的にソースを非可逆圧縮することに違いはないわけです。
この様にTWSというのは、オーディオ的な設計の困難が山程あるジャンルなのです。それらの問題を差し引いてもやはり便利なので、売れ筋となっています。イヤフォン/ヘッドフォンリスニングにおける最大の不満ポイントである「ワイヤーがからみつく」という事がない点は、特に大きいでしょう。
オーディオというものは常に、利便性と音は反比例し、二者択一しなければならないという歴史を辿ってきました。据え置きでもポータブルでも、便利さを追求するほど音は疎かになってしまうのは世の常です。そうした困難の中でも頑張っているメーカーが、あるかもしれない。そんな期待をもって、今回はオーディオの最新トレンドを特集しようという思いに至りました。
試聴環境について軽く触れましょう。私のプレイヤーは、ポータブル版のfoobar2000をインストールしたOLED AQUOSスマホを使っています。音源はいずれもハイレゾで(出音はハイレゾとはならないですが)、まずヴォーカルを聴くのにカーペンターズ「Yesterday Once More」。カレンとリチャードのハーモニー、そして楽器の質感と厚みといったポイントが聴きどころです。
私の標準リファレンス音源からもうひとつ、オイゲン・ヨッフム指揮/ボストン交響楽団の演奏による「モーツァルト;交響曲第41番ハ長調 “ジュピター”」も聴きました。昨年発表した『DSDで聴くドイツ・グラモフォン&デッカ selected by 麻倉怜士』というコンピレーションの中に選び、大変好評をいただいている音源です。純粋に音楽を聴いても、オーケストラのスケール感、ディテールの出方、弦の倍音感など、聴きどころは多い演奏です。
――TWSの試聴で注意したいのは、リファレンス音源にサブスクリプションサービスをはじめとした非可逆圧縮音源を使わない事でしょう。「どうせBluetooth伝送の段で圧縮するのだし、元から圧縮された音源を使っても出音は変わらないだろう」という考えは大間違い。同じ楽曲を聴き比べると「誰でも判る」レベルで圧縮音源(特にサブスクリプションのもの)にはノイズが乗っていることが聞き分けられます。純粋に楽曲を愉しむならばともかく、音質の聴き分けという用途において、これらの音源は適当とは言えません。
リファレンスにはやはり、CDからリッピングした非圧縮WAV音源や購入・ダウンロードしたハイレゾ音源を用意することをオススメします。
麻倉:そうだね、些細に思えるそういうところが違和感の正体だったりするというのはよくあることだから、見落とさないようにしましょう。
まず取り上げるのはパナソニックから発売されている「RZ-S30W」、「RZ-S50W」、「EAH-AZ70W」の3機種。これまでTWS市場を静観していたパナソニックですが、満を持して市場に殴り込みをかけてきました。という訳で、どことは言いませんが、市場で売れ行きの評価が高くリファレンス的に扱われている“某売れ筋製品”と比較してみました。
ちなみにノイキャン性能については、今回は評価の対象外としています。ですがパナソニックのTWSはここが優れていると評判。私は事前に今年初頭のCESで各モデルを聴いたのですが、その時もノイキャンの良さは感じ、確かにレベルが高いという感触でした。そういうことなので、今回はノイキャンONで聴いてみました。
パナソニックのキーワードは「ハッキリくっきり」。シャッキリと出して、細かいところまでグッと押し出す。この感じが全機種に共通しています。質感の違い、クオリティの違いで製品間のクラス分けをしているのですが、この型番違いによる差異化が見事で、ラインナップのグレードと音のグレードが見事に正比例しています。マーケッターと技術が融合しており、ものづくりとクオリティのレベル差付けが巧みで、市場セグメントが望む価格とのバランシングが上手いと言えるでしょう。
――ありていに言えば、「上位機になるほど音が良くなるよ」と。選びやすいと言えば選びやすいですね。
RZ-S30W麻倉:では「RZ-S30W」から聴きましょう。これはエントリーモデルとしてブランドの裾野を広げる戦略機ですね。テクニクスブランドが与えられた「EAH-AZ70W」はパナソニックブランドとは一段違う高いところに居て、価格も当然それなりのものが与えられています。ですがコストとパフォーマンスの兼ね合いで言えば、売れ筋はやはりパナソニックブランドが付いた本製品と「RZ-S50W」の2機種でしょう。その意味でも、とてもマーケティング的な雰囲気がしました。
ズバリ、先程述べた“某売れ筋製品”とは全く違う音。これは非常に印象深いですね。あちらは解像感があるではなく、むしろフワッとした膨らみ感があり、どちらかと言えば低音の量感で聴かせる感じがします。一方のこちらは明らかに高音で聴かせている。逆説的に低音は控えめで、これを逆手に取ったハッキリくっきりの、強調感があるシャキシャキした感じ。ハキハキした物言い感、元気の良さを感じます。
一方で低音が少し足りないので、ハイキーでバランスが中高域寄りですね。低音の問題はあるにしろ結構情報が出ているように聴こえるので、このくらいの価格帯の「情報量が欲しい」という基本的なトレンドに対して、ハッキリくっきりで克明に聴かせてくれますね。
Yesterday once moreでは、クリアだけど少々ヴォーカルの薄さがあったり、音のハーモニーが硬かったり。ジュピターではハイ上がりでメタリックなところもありました。これも含めて市場での音傾向、しかも“某売れ筋製品”と比較すると「パナソニックならではの独自性を上手く取り入れた、市場を意識したモデルではないか」と判断できますね
麻倉氏が年初のCESで試聴した海外モデル。国内モデルと違い、型番が3ケタになっている麻倉:続いてミドルモデルのRZ-S50Wです。これはパナソニックの音作りの上手さがありますね。グレーディングをちゃんとわきまえ、30から型番が上がってハイクラスになった有り難みが感じられます。ユーザーが購入を検討する際に、まずエントリーモデルの30を聴けば「まあこんなものかな」という印象を抱くでしょう。続いて50を聴けば「おお、結構良いじゃないか」となるわけです。この様に30との差を付け、店頭での自社内差別化をキチンと出している。そんな狙いとマーケティングの音作りが上手いこと融合している、それがパナソニックのTWSラインナップだと思います。
RZ-S50W音的な事を言うと、まず30よりも見渡しが良くなり、音場の中のどういうところにどんな音があるのか、どう響いているのかがそれなりに判ります。カレンのヴォーカルというのはとても清涼感があり、クリアでのびのびとしているという特徴があり、先程の30ではこの点を「ハイキー」と表現しました。ですが50では強調感が薄まってスッキリ。こうした、のびのび感は高域のノビによって出ているのです。
シビアな意見を言うと、もう少し音の中身が欲しいと感じるところ。カレンの声は良いのですが、リチャードと一緒になった時のハーモニー感はさらにクリアさが欲しいところでした。その一方で音の表面がキレイに磨かれてきた印象で、このポリッシュ感は特筆点でしょう。30は粗目のワックスがかかっていた印象だったのが、こちらはワックスのキメが細かくなり、輝きもギラギラからピカピカと滑らかな感じがします。
もう1曲のジュピターには結構感心しました。この演奏は右チャンネルに低音と第2ヴァイオリンがあり、第1ヴァイオリンは左という古典的な両翼配置になっています。この左右の低音・高音の感じ、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの音の違いといったところが、30よりもよく出てきたと感じました。
ただしオケをこれで聴くのは少々難しいでしょう。“某売れ筋製品”は低音の量感を強調した感じでしたが、本製品の音はこれへのアンチテーゼの様に見受けます。その結果、低音の量感が若干足りない。カーペンターズくらいなら編成も小規模で、低音はバスドラとベースくらいですが、ジュピターの様なフルオケとなると、アコースティックな低音感の不足は否めません。
でも第1ヴァイオリンの倍音感などはよく出ています。この演奏はとても安定していて、アメリカのオケはヨーロッパより華麗な響きがしますが、そういう華やぎはまあそれなりに出ているのではと感じました。
こちらも3ケタ型番の海外モデル麻倉:次はテクニクスブランドの「EAH-AZ70W」です。30、50と20ステップで型番が上がってきたラインナップですが、やはりテクニクスとなると格段にグレードが上がります。印象的には“70”ではなく“85”くらいでしょう。大衆ブランドのパナソニックに対して、テクニクスブランドはオーディオマニア向けとして厳然と別分野になっています。
テクニクスブランドの「EAH-AZ70W」もちろん音もブランドコンセプトに従っており、パナソニックは大衆的な音を出すのに対して、テクニクスはマニアが感心する本格的な音を目指す。そこがまずもって違います。これまでの製品で言うならば、例えばラジカセの様な一体型オーディオをひとつ取ってみても、パナソニックブランドではOEMで音作りの点はさほど聴くほどではありませんでした。対してテクニクスが本腰を入れて作ったOTTAVA S「SC-C50」などでは、ベルリン・フィルからのアドバイスなどもあって格段に音が良い。その意味ではTWSも、量を売る30/50と、価格的にも技術的にも入れた70では、やはり格段に違います。
ただしひとつ、これには磁性流体ドライバーが入っていないのが残念です。ハイエンドイヤフォン「EAH-TZ700」で導入したこのドライバーは、低域再現性が高い評価を受けました。それが無いというのは何とも勿体無い。ですが逆に言えば「それを入れなくてもここまでの音を出した」というのは評価したいです。
本製品に関して言うと、CESでチェックした時の印象は「完成度がイマイチ」でした。ですが今回はプロダクトモデルを聴いて、かなり印象が変わりました。CESの時は「ノイキャンは良いけど音楽はどうなの?」みたいなところがあったのですが、今回は良くなったと思います
有線のハイエンドイヤフォン「EAH-TZ700」まずカーペンターズ、透明感が高いですね。前2モデルに関しては中高域のパワーや輪郭こそあったものの、透明感というところまではいっていませんでした。テクニクスブランドの70では、それがあります。透明度というのはカレンの歌を聴く時に重要なポイントで、クリアな質感はカレンの歌声の特徴でもあります。
もうひとつ、粒立ちの細かさも良い。下位モデルはシャッキリくっきり聴かせる元気良さが売りなので、粗めの方が元気の良い印象に聴こえる。でもこちらは基本性能が上がっているので、ヴォーカルの粒立ちがより細かくなっても元気良さが失われない。パナソニックブランドと比べて、この点は明らかなアドバンテージでしょう。
更にもうひとつ、低音の安定感も良かった。この音源はバスドラとベースで低音感を作っていますが、下位モデルに対してバスドラを叩く響きやベースの動きと言った部分の音的な情報量が格段に出ています。音像、特にヴォーカルの音像がセンターに定位し、輪郭がハッキリ出てきた点も良かったですね。パナソニックブランドの2機種はそこまで気を使わず、基本的に「元気に行くぞ!」です。対してテクニクスブランドは細かな音の成り立ちや構成、音場における音像の位置感覚や安定感、それらが強調感なくクッキリと出ていました。その意味でボキャブラリーが増えた感じがします。これは解像度の高さというか、今の市場の命題に合っているでしょう。
ジュピターはどうでしょうか。これまでの音は、クラシックの音はまるでポール・モーリアかと言う様な、エレキが入った感じがしました。対して本製品はアコースティック感が出てきます。粒立ちもあり、電気仕掛けではない自然さがあります。単なる華やぎではなく、落ち着きとカラフルさがある。
注文をつけるならば、もっとディテールにまで切り込みたいところ。合奏になった時の、ハーモニーを構成するひとつひとつの音がさらに見えれば、より良かったでしょう。でもパナソニックブランドとは違う。格段に違います。そこは流石のテクニクスブランド。ハッキリクッキリは元から持っていますが、プラス粒立ち感、透明感と隔絶した音世界を創っています。質感もさらに上げられるとよい。
――うーん、正直言っていいですか。僕は「この音に“テクニクス”ブランドを付けるの?」と思ってしまったんです。決して悪い音だとは思わない、ですが「音からブランドが見えない」「テクニクスの音がしない」。僕はある意味におけるロマンチスト(物語主義者)な思想を持っていますが、その考えで言うとブランドとは凝縮された物語であり、テクニクスで言うならば日本のオーディオやDJの音楽文化を支えつつ、近年ではベルリン・フィルに指導を仰いだという、時間をかけて積み重ねてきたフィロソフィがあるはずです。
ところがこの音には、そういった“テクニクスの物語”が見えてこなかった。どこの馬の骨とも知らぬ有象無象ではなく、天下のテクニクスブランドです。名乗るには音からブランドヒストリーやバックグラウンドの音楽文化が見えて欲しい、そう感じました。
麻倉:なるほどね、天野くんがそう思ったところは理解できます。確かにテクニクスらしい風格や本物感、テクニクスならではのオーセンティックさ、ナチュラル感はあまり、感じられなかったけど、ある意味、これもテクニクスと思いました。TWSという新しい分野を取り込むためのブランドコンセプトの拡張ということではないでしょうか。頑張った感はあってパナソニックブランドよりは良いのですが、音楽がナチュラルにふっと浮いてくる、ハイエンド感とも言うべきそういうところがもう少し欲しいです。
これは先に触れた磁性流体ドライバーの得意なところで、本来のテクニクスの音はやはりこのドライバーを使ったワイヤードのTZ700でしょう。この辺はTWSの難しいところで、いくら頑張っても、アウトプットが少ないという状況は如何ともし難い。
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